【ネタバレ】『ジョーカー』から受け取った、喜劇も悲劇も全ては自分次第というメッセージ【感想/考察】 | The Bird's Nest Hair  

【ネタバレ】『ジョーカー』から受け取った、喜劇も悲劇も全ては自分次第というメッセージ【感想/考察】

貧富の格差、環境問題、自然災害、増える税金…、この世界はどうしようもなくクソだよなとか思いながらも、それでも僕らは映画を観る余裕がまだあるんですよね(笑)
クソな現実から逃れるために映画を観たはずなのに、そこで現実はクソだよと突き付けられる皮肉が痛快ですよね(笑)

上記は、フォロワーさんとのやりとりの一部です。

ヤバい…自分もジョーカーになってしまうんじゃないか…。飲み込まれてしまいそうになる…。まるで自分のように哀れな男だ…。自分のことのようだ…。

そう思ってしまうシーンもありますが、というかそういうシーン”しかない”ですが、結局のところ『ジョーカー』は映画であり、他人事なんです。

お金を出して映画を見に行くだけの経済的余裕や精神的余裕が、僕たち観客にはあるわけです。

この先どんな悲劇が起こったとしても、この物語の主人公アーサー・フレックのようには決してならない自信がある。

FT

ジョーカーにはなれない自信がある。

だからこそ、『ジョーカー』には、強烈に惹きつけられるものがありました。


そしてなにより1本の映画作品として素晴らしい。間違いなく歴史に名を残す1本になると断言できます。

全編に散りばめられた、名作映画に対する敬意と深い愛は、「映画を好きでいてよかった」と思わせてくれるには十分すぎるほどで…一人、映画に費やした青春時代の時間が報われたような気がしました。

FT

これだよ、これ!これが観たかったんだよ!こんな映画を待っていたんだ!

思わず叫びだしそうになる興奮と感動をこらえる2時間。映画が持つ魔法を体感する2時間。

FT

『ジョーカー』は、映画好きの映画好きによる映画好きのための映画です。

*当記事にはネタバレが存分に含まれています。ネタバレNGの方はお気を付けください。

『ジョーカー』あらすじ(ネタバレ含む)

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

ゴッサム・シティは悪臭を放っていた。

市の衛生局がストライキに突入し、街角には大量のゴミ。

それはすなわち、政治の機能不全を物語っていた。

貧富の差は拡大し、困窮者は当たり前のように暴力に手を染める。何もかもが破綻し疲弊しきっていた大都市。

貧しくも心優しい道化師、アーサー・フリックもまた、どうにかこうにか日々の生活を生きている一人だった。緊張状態に陥ると”笑い”の発作が起こる持病に悩み傷つきながらも、日々を懸命に生きていた。

ピエロ派遣プロダクションに所属しているアーサーの仕事の帰りを待つのは、彼の唯一の家族である母、ペニー。彼女は、この街一番の富豪で次期市長候補のトーマス・ウェインの屋敷に勤めていたという華々しい経歴の持ち主だ。しかし、それも今では遠い昔。現在は、自力で日常生活すら送れない状況に。

そんな、心臓と精神に問題を抱えるたった一人の家族を、アーサーは優しく世話をする。絵にかいたようなどん底の生活の中でも、彼には一つの心の支えがあった。

それは”コメディアン”になるという夢。
この街一番の名司会者、マレー・フランクリンのような存在になることが彼の夢なのだ。彼は、夢のために毎日欠かさずネタ帳を持ち歩き、思いついた内容を書き綴っていた。

必死の思いで日々を生き、夢を追いかける”何一つ悪くない”アーサーをある悲劇が襲う。

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

楽器店の店じまいセールの客寄せとして派遣されたアーサーは、ピエロになり切って閉店セールと書かれた看板を掲げ仕事に従事する。そんな彼を、街のストリートギャングが襲う。

ゴミが山積みになった路地裏で袋叩きにされるアーサー。

翌日、満身創痍のアーサーのために同僚、は一丁の拳銃を差し出す。「これで身を守れ」と。しかし、これがさらなる悲劇を生んでしまう。

後日、小児病棟でピエロに扮し仕事をしていた最中、アーサーは誤って拳銃を落としてしまう。こともあろうに、子供たちや看護師の目の前で。

遂に解雇されてしまったアーサーは、ピエロの格好のままゴッサム・シティの荒れ果てた地下鉄に乗り込む。そこで、彼の人生を変える事件が起こる。

アーサーと同じ車両に居合わせたのは、1人の女性と3人のエリート証券マン。エリート証券マンは女性をからかい馬鹿にする。そんな様子を横目でみていた彼に、持病の”笑い”が起こってしまう。

証券マンにリンチされたアーサーは命の危機を感じ、持ち合わせていた件の拳銃で3人を射殺してしまう。自分のしでかしてしまった事の重大さに怯えた彼が駆け込んだのは、薄汚れた深夜の公衆トイレ。鏡に映るピエロ姿の自分を目にした彼がとった行動、それは…。

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

今までに感じたことのない高揚感を抱えてアパートに帰ったアーサーは、麗しき隣人シングルマザーのソフィーを強引に口説き、恋人関係になる…。

別の日、コメディアンを目指すアーサーは、街のナイトクラブに出演し自身の”芸”を披露するが、まるで誰も笑わない。
笑ってくれるのはソフィーだけで…。

しかし、後日、アーサーの”滑稽”な様子は意外な人物の目にとまる。その人物とは、彼が目標とする大物司会者マレー・フランクリンだった。
マレーはアーサーに「自身の番組に出てほしい」と出演の依頼をする。そして、アーサーはその依頼を受けることにした。


ここで事態は急展開を迎える。物事が悪い方に転がりだすのはいつも急で、そしてあっという間だ。

アーサーの母親、ペニーは心臓と”精神”を患っている…。ひょんなことからアーサーは彼女の秘密、そして自分自身の秘密を知ってしまう。

ペニーは、ウェインと恋人関係に落ち、そして、二人のもとに生まれ落ちたのがアーサーだったのだという…。つまり自分はこの街一番の富豪の息子だったのだ…。
アーサーはいきなりの話しに動揺し、事実を確かめるためにトーマス・ウェインに直接会うことを試みる。

対面する父と子の感動的な場面、と、そううまくはいかない。事実はいつも残酷だ。

ペニーが屋敷で働いていた、それは事実だ。しかし、それ以外はすべて”嘘”だった。
ペニーがウェインと恋に落ちたという事実などなく、そればかりかアーサーは養子だったのだ。

ペニーとアーサーに血の繋がりはなかった。

アーサーは、誰かに温かい言葉をかけてほしいだけだった。ハグがほしかった。たったそれだけだった。しかし、彼の声は誰にも届かない。

後日、州立病院へと足を運んだアーサーは全ての真実を知る。(州立病院は、精神を病んだ患者が収容される、そういう病院だ。)

30年前の”母”の記録を調べたアーサーは全てを知った。
ウェインの言った通り、ペニーとウェインは恋人関係になかったこと、自分は養子だったこと…

そればかりか、幼少期に母親の交際相手から受けた傷によって脳を損傷し、”笑う”持病をもってしまったこと…

愛も絆もすべて出鱈目、真っ赤な嘘、幻想…

もはや自分が誰なのかすら分からない。

雨に打たれアパートにたどり着いたアーサーは、恋人であり隣人のソフィーの部屋に赴く。

しかしそこでアーサーを待っていたのは恋人からの温かいハグではなかった。

「”たしか”アーサーって名前でしょ?早く出ていって。」

そう、全ては幻想だった。

ソフィーとの恋人関係は全て幻だったのだ。

高揚感に身を任せ彼女とキスしたあの日のことも、夜のゴッサムシティをデートしたことも…全てはアーサーの頭の中の出来事だった。全てはアーサーの妄想だった。

アーサーには守るものも、そしてアーサーを守るものももう何も残っていなかった。

アーサーは絶望のあまり、”母親だった”ペニーを手にかける。あまりにも綺麗な朝日が差し込む日のことだ。


膨れ上がる市民の憎悪は、一部の富裕層に向けられる。裕福で傲慢なエリート証券マンを一晩のうちに3人も殺した道化師は、もはや市民にとっての英雄だ。

市民はピエロの面を被り、不満をあらわにして一発触発のデモ活動を行う。街は荒れに荒れる。

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

そんな中、”得意”のピエロメイクを施したアーサー・フリック…いや、ジョーカーはマレー・フランクリン・ショーに出演するために街に出る。

いつものように煙草をふかしながら。

悲しき道化師の一世一代の大舞台の幕は開かれる―

『ジョーカー』キャスト&スタッフ

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

キャスト

・アーサー・フレック (ジョーカー)/ホアキン・フェニックス

・マレー・フランクリン/ロバート・デ・ニーロ

・ソフィー・デュモンド/ザジー・ビーツ

・ペニー・フレック/フランセス・コンロイ

・トーマス・ウェイン/ブレット・カレン

・ギャリティ刑事/ビル・キャンプ

・バーク刑事/シェー・ウィガム

・ランドル/グレン・フレシュラー

・ゲイリー/リー・ギル

・ジーン・アフランド/マーク・マロン

・アルフレッド・ペニーワース/ダグラス・ホッジ

・ブルース・ウェイン/ダンテ・ペレイラ=オルソン

スタッフ

・監督/トッド・フィリップス
・脚本/トッド・フィリップス スコット・シルヴァー
・製作/トッド・フィリップス ブラッドリー・クーパー エマ・ティリンガー・コスコフ

『ジョーカー』を”今”観るべき3つの理由

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

①:現代社会への問いかけ

人々の心に残り続け時代を超越する映画作品には、強烈な共時性が備わっています。まるで、その時代そのもののような、その時代の写し鏡のような…

『ジョーカー』で描かれる舞台は1981年のゴッサム・シティ(ニューヨーク)ですが、この作品を今の時代とリンクせずに観ることは不可能です。なぜならこの作品には、「行き場のない憎悪」「超格差社会」「ポピュリズム」…

製作者たちによる現代社会への問いかけ(決して説教クサいものではなく)が込められているからです。

そして、これら”問いかけ”は当然、今、リアルタイムで観るからこそ意味があるものです。

②:メインストリームに中指を突き立てる痛快さ


『ジョーカー』は、2010年代映画業界のメインストリームの全てに中指を突き立てた作品だと思います。

もはやリアル(現実)と空想の境目が分からないほどに発達したVFX、膨れ上がる大作映画の予算、大規模なシリーズ化、作品間のクロスオーバー…

これら2010年代映画の主流を、完全に一刀両断するかのような大胆さ。

ロケと美術のリアル(現実)にこだわった撮影、低予算な製作費、アメコミ映画でありながら他作品とは完全に独立した世界観、日本国内における過度な宣伝の廃止…

2010年代の映画シーンのメインストリームに真っ向から逆行しているのが『ジョーカー』です。

巨大な権威に立ち向かう者は、いつの時代でも格好良いものです。

③:真っ只中でしか味わえない興奮

過度な宣伝の廃止、それでも尚、日本国内におけるDC作品の興行収入成績を、たった12日間で塗り替えたのです。(10月15日時点で20億円)

もちろん、興行収入はこれからさらに伸びるでしょう。

さらにDC映画作品史上初、ヴェネツィア国際映画祭における最優秀作品賞「金獅子賞」を受賞しました。

来年度のアカデミー賞 賞レースにも大きく絡むことは確実と言われていますが、絡むどころか独走態勢じゃないかと思います。

まさに異例尽くしです。

ネット上でのバズを考えると一体この数字がどこまで伸びるのか、もう誰にも分かりません。

そう、誰も予想できなかった“事件”の、今が真っただ中です。この興奮は、リアルタイムでしか味わえません。

刻一刻と増えるレビュー評価、様々な角度から検証される考察、

『ジョーカー』がヤバいらしい…

後追いでは決して経験できない興奮は、事件の最中に立ち会う人にしか許されません。

『ジョーカー』の3つの見どころ

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

到底3つでは収まり切りませんが、強いて上げるならこの3つかなって感じです。

①:ホアキン・フェニックスの演技

『ジョーカー』という映画作品の”核”を担い、そして作品の”格”を押し上げるのが主演、ホアキン・フェニックスの演技です。

この世の全ての賛辞、賞賛の言葉をもってしても到底足りないほどの圧巻の演技。

いや、演技というより、そこにホアキン・フェニックスという人間の存在はなく、いるのはアーサー・フレックただ一人。

役になり切るために、その役の感情を追体験することなどによって、より自然でリアリステックな演技・表現を行う演技法を「メソッド演技」と言いますが、なり切る、役に寄っていく、というよりは、自分自身を殺して役に自らの体を明け渡すかのような…

そんな恐ろしさをも感じさせる凄まじさ。

②:名作のオマージュ

すでに語り尽されていることですが、名作のオマージュが存分に盛り込まれているのが、『ジョーカー』という作品の大きな特徴です。

映画好きの人にとっては”いちいち”最高です。取りあえず「タクシー・ドライバー」と「キング・オブ・コメディ」だけは要チェックです。

『ジョーカー』ほど映画愛に溢れた映画も多くはありません。鑑賞後に気持ちの良い余韻に浸れるかどうかは置いておいて「映画が好きでよかった」と、必ず思うはずです。

人生で一度でも「映画が好き」と言ったことがある人は観に行くべきだと、個人的には思います。いや、おすすめはしませんよ。

③:作品を彩る名曲

ここ数日は『ジョーカー』に関する考察や感想を読み漁っているのですが、意外にも劇中音楽について言及している記事は多くありません。

でも、選曲が最高なんですよ。

もはやテーマ曲として扱われているのは、喜劇王チャップリンが作曲した大名曲にしてジミー・デュランテが歌う『スマイル』。

そしてこちらも作品のテーマをそのまま表すフランク・シナトラの『ザッツ・ライフ』。クライマックスで流れるのは、エリック・クラプトンを擁した伝説のロックバンドCreamの『ホワイト・ルーム』。

そして、映画史に残るであろう、そして観る人の記憶に鮮烈に焼き付く”階段で踊るジョーカー”のシーンには、ゲイリー・グリッターの『ロックンロール パート2』…

全編にわたってとにかく選曲が素晴らしい。

そして、Creamといえば今月6日にドラムのジンジャー・ベイカーが亡くなったことも記憶に新しいですね…

『ジョーカー』感想・考察

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

僕は、『ジョーカー』は決して悲しい映画ではなく、そこにはポジティブなメッセージと可能性が秘められていると感じました。

一人の悲しい男が世界に認められるまでの物語、それが『ジョーカー』です。

「喜劇」も「悲劇」もどっちも同じこと。それでいいし、それが当たり前。

だって、すべては”主観”なんだから。どちらを選ぶも自分次第で、だからきっと”何者”にでもなれる。

そういうメッセージを受け取りました。

ジョーカーという存在について

まずはじめに『ジョーカー』の考察で見られる二大考察をご紹介します。

「そもそも、”ジョーカー”という存在は何なのか?」という、バットマンシリーズの根幹にも関わる考察です。

①:概念としてのジョーカー説

これは、これまでのバットマンシリーズに出てくるジョーカーと本作のジョーカーこと、アーサー・フレックは別人物であるという考察です。

僕もこの考察で物語を受け取ったので、以下の考察もすべてこの考察に基づいています。

そもそも、「ダークナイト」でヒース・レジャーが演じたジョーカーをはじめとする歴代ジョーカーと、今作のアーサー・フレックという男が同一人物であるとするならば、設定全てが破綻してしまいます。

というのもアーサーと歴代ジョーカーでは年齢が離れすぎています。

「バットマン ビギンズ」では、ブルース・ウェインは8歳のときに両親が殺されたと明言されています。

『ジョーカー』では、アーサーの年齢は公表されていませんが、主演のホアキン・フェニックスが44歳なので仮に44歳だとすると、バットマンとダークナイト版ジョーカーには、36歳もの年齢差があることになります。

ブルースがバットマンになるころには、アーサーはもうじいちゃんです。とても戦いにはなりませんよね。


つまり、ダークナイトをはじめとするこれまでのジョーカーは、今作で描かれたアーサー・フレックという男の狂気を正確に理解した”フォロワー”だということです。

今作で描かれたのは、“概念としての”ジョーカー誕生物語

ラストシーンの暴動に居合わせた人物の中に、アーサーの狂気を正しく理解するものがいた。

その人物こそが後に”ジョーカー”を受け継ぎ、バットマンの前に姿を現す。

こう考えると、全ての事項にピントがあいます。

②:そもそもジョーカーなどいない(全ては妄想)説

続いての考察は、すべてはアーサーの妄想だったというものです。

すべてというのは、本当に全てです。

つまり、ジョーカーやバットマンもすべてアーサーの妄想の中でも話しということです。

今までもバットマンを真っ向から否定してしまう、とんでもないストーリーです。

この考察ももちろん無くはないと思うのですが、メタ的なことを言ってしまうと、監督のトッド・フィリップスや主演のホアキン・フェニックスは映画愛に溢れた人物です。これまでのバットマンシリーズを否定してしまうような話にはしない、というかしてほしくない、という願望に近い個人的意見があります。

また、アーサーから悪を正しく受け継いだ者が、やがてバットマンと対峙する。というストーリーの方がロマンがありますし、“真の悪”は伝播するものだという恐ろしさもあります。

なので、ぼく個人的には①の考察を推しています。

そして、どちらにしても今作のジョーカーとこれまでのジョーカーは別人、これは間違いないと思います。

「概念としてのジョーカー説」を基に、以下の考察は続きます。

アーサーはいつからジョーカーに?

『ジョーカー』の考察でよくみられるのが、「アーサーはいつからジョーカーになったのか」というものです。

この意見には大きく分けると2つあります。

・ある一定のタイミングで明確に、アーサーはジョーカーに変容したというもの

・アーサーとジョーカーは地続きであり、変容に明確なタイミングはないというもの

ジョーカーに変貌する確たるタイミングはない

僕の意見は後者で、主演のホアキン・フェニックスも次のように発言しています。

「アーサーが変化した原因は一つでではない。原因を定めることをしたくはないし、そもそもそんなことは不可能だ」

トッド・フィリップス監督も同じく、「アーサーからジョーカーに変わる決定的な瞬間はない。アーサーの変化は少しづつ徐々に起きている」と明言しています。

たしかに、アーサーがジョーカーになった決定的な瞬間や出来事はないと思います。

しかし、アーサーが世界と交わり、世界から認められる瞬間は存在すると思います。

『ジョーカー』はアーサーが世間に認められるまでの物語

僕は、『ジョーカー』は、アーサー・フレックという一人の男が、何物でもない男が、世界に認められるまでの物語だと受け取りました。

アーサーがジョーカーになったタイミングでは、結局まだ誰も、彼の存在には気づいていません。

たしかに彼自身の内面の変化こそありましたが、アーサー・フレックという人物は世界にとって、いてもいなくてもいい存在です。

では、彼は悪のシンボル「ジョーカー」として、いつ世界に気づかれたのか、そこには明確なタイミングがあるはずです。

アーサー・フレックはいつ、世界を変える存在になったのか…

以上が根底にあっての以下の考察です。

*以下は、僕個人の考察であり感想です。「なるほどね」と思っていただくのも「全然的外れだよ」と思っていただくのもどちらも嬉しいです。考察をシェアすることは、リアルタイムで映画を楽しむ醍醐味でもありますからね。

「もしかしたらこういう見方もできるよね?」という、考察です。

アーサーと世界を隔てる柵の存在(男が何者かになるまで)

僕が2度目の鑑賞で気になった(注目した)のが、”柵”の存在です。

『ジョーカー』では、柵が明確に登場するシーンが全部で4つあります。

「柵は、アーサーと世界の隔たりの象徴」

そのように定義づけて考察を進めます。

“何物でもない”アーサーと世界を隔てる象徴です。

柵が登場するうちは、アーサーが人々に認められることは決してない、僕はそのように捉えました。

順に追っていきたいと思います。

1度目の柵:ソフィーを尾行するシーン

1度目は、意中の女性、魅惑の隣人ソフィーをを付け狙い尾行するシーン。アーサーが柵(フェンス)越しに、彼女と彼女の娘のジジを見つめているシーンですね。

このシーンにおける柵の存在は、アーサーとソフィーが交わることは決してないことを表しています。

それと同時に、世間はアーサーのことなど気にも留めていないことも示唆されています。

フードを深く被るアーサーはどこからどう見ても怪しいのに、誰も彼に見向きもしないのです。つまり世界にとってアーサーは、いてもいなくても一緒、どうでもいい存在なのです。

2度目の柵:ブルース・ウェインとの対峙

2度目は、後のバットマンであるブルース・ウェインと顔を合わせるシーンです。母ペニーとトーマス・ウェインの衝撃的な事実(全てペニーの幻想だったが)を聞き、真実を確かめにウェイン邸を訪れる印象的なシーンですね。

みすぼらしい恰好で道化師に扮するアーサーと、高価な服を身に纏い一言も発さないブルースの間に聳える高く太い柵は、持たざる者と持つ者の”隔たり”を象徴しています。

そして、アーサーがほしいものは絶対に手に入らない、アーサーが”向こう側”にいくことは決してできないことを表しています。

3度目の柵:真実を知ってしまった州立病院

3度目は、母ペニーの過去を調べるために州立病院を訪れるシーン、アーサーと事務員の間には、まるで刑務所の面会室のような柵が設けられています。

これは、アーサーが犯罪者であることを表していて、犯罪者が世間から認められることなど決してないということを示しています。

そして、アーサーはこの直後に衝撃的な事実を知ることになります…。

4度目の柵:ついに破壊される世界との隔たり

そして4度目、これが最後です。マレー・フランクリンを射殺し、パトカーで搬送されるクライマックスのシーンです。

自らの手によって町が混沌と化していく様を、優越感に浸ったような、しかしどこか他人事のような笑顔で眺めるアーサーこと、ジョーカー。運転手と彼の間には柵の存在があります。

しかし、その次の瞬間、ジョーカーを神格化した暴徒が彼を警察から救うべくトラックでパトカーに突っ込むことで、柵は粉々に砕け散ります。

この瞬間、アーサー・フレックと世界の隔たり、その存在が木っ端微塵に消え去り、彼はついに世界から認められることになるのです。

その証拠に、ジョーカー信者がアーサーの手を握り大破したパトカーから救い出すシーンが描かれています。

これは、はじめて描写されるアーサー・フレックと他者との明確な繋がりです。世界に無視され、踏み潰されてきた男にとって、はじめての他者との交わりです。自分を騙し(妄想してまで)他人との繋がりを求めた、彼にとっての文字通り救いの手です。

決して叶うことはないと思っていた「他人に認められたい」という孤独な男の願望が、ラスト10分でついに叶うわけです。しかし…


しかし、再び目が覚めた彼は気づいてしまいます。

誰も自分自身を見ていないことを。大衆が見ているのはアーサー・フレックではなくジョーカーです。

そう、車の上に立ちがあがり周りを見渡した瞬間、アーサーは気づいてしまうのです。自分自身が認められたわけではないことを…ジョーカーという”仮面”を通すことでしか、世界とは交われないことを。

だから彼は、薄れていたジョーカーのメイクを”自分の血”で直すのです。

もう一度笑い、そして踊るのです。

考察②:極端に少ない瞬き

これは考察というより、単なる気づきです。

主演のホアキン・フェニックスの瞬きの回数が異常なほど少ないのです。

というか、全編通してほぼ瞬きしていませんね。

“ただ”のアーサーだったころも、ジョーカーのメイクを施してからも、瞬きの回数が極端に少ない。

「瞬き厳禁」という煽り文句を目にすることがよくありますが、まさか主演俳優がほぼ瞬きをしていないとは…。

観客を見ている

瞬きをしていないということは、ホアキン・フェニックスの目は、アーサー・フリックの目は、観客を見ているということです。

じっと、見られているのです。

鑑賞しているはずのこちらが、じつは見られている側だと気づいたとき、どうしようもない違和感と恐怖を覚えました。

『ジョーカー』の元ネタになった映画

『ジョーカー』の元ネタになった印象的な2作品を紹介します。

①:『タクシードライバー』

ColumbiaPictures/Photofest/MediaVastJapan

アーサーの憧れの司会者マレー・フランクリンを演じた名優ロバート・デ・ニーロ主演、巨匠マーティン・スコセッシ監督による1976年の名作です。

上の画像と全く同じポーズが『ジョーカー』でも出てきましたね。

『ジョーカー』の元ネタになったポイントは以下です。

  1. ストーリーが進むにつれて虚実入り混じるストーリー展開
  2. 悩める社会的弱者による怒りの物語
  3. 時代背景が同じ(『ジョーカー』は1981年・『タクシードライバー』は1976年のニューヨークがモデル)
  4. ロバート・デ・ニーロの起用

『タクシードライバー』をAmazonプライム ビデオでチェックする
ボタンをクリックするとAmazonのページに移動します。

②:『キング・オブ・コメディ』

© FilmConfect Home Entertainment GmbH

こちらもロバート・デ・ニーロとマーティン・スコセッシの映画史上最高の名コンビによる1982年の名作です。

こちらは”オマージュ”というよりは、“モチーフ”といってもいいかもしれません。

ロバート・デ・ニーロ演じる主人公ルパート・パプキンは、街一番の司会者に憧れる”何者でもない”青年という、この1文からしてすでに『ジョーカー』のアーサー・フレックというキャラクターの下敷きになっています。

さらに、妄想癖があり現実と空想の区別がついていないという点も、もろに類似していますね。

そしてなんといってもデ・ニーロの起用法です。

デ・ニーロは40年近い時を経て、かつて自分が(役の上で)憧れた名司会者を『ジョーカー』で演じているのです。

そう、『ジョーカー』の「マレー・フランクリン」というキャラクターは、『キング・オブ・コメディ』でデ・ニーロ演じる主人公が憧れている「ジェリー」という司会者そのものなのです。

かつての自分と同じ社会的不適合者に射殺されるデ・ニーロ(マレー・フランクリン)。

「お前は外の世界を知らないだろう。いつもスタジオで、人を馬鹿にしやがって」

クライマックスのシーン、アーサーはそう叫びながら彼に向って引き金を引きます。

『ジョーカー』はデ・ニーロのキャスティングをもって完成したと言っていいと思います。

  1. ストーリーが進むにつれて虚実入り混じるストーリー展開
  2. 悩める社会的弱者による怒りの物語
  3. 時代背景が同じ(『ジョーカー』は1981年・『キング・オブ・コメディ』は1982年のニューヨークがモデル)
  4. ロバート・デ・ニーロの起用

『キング・オブ・コメディ』についてさらに掘り下げたい方はコチラの記事がおすすめ
『キング・オブ・コメディ』で描かれる喜劇と悲劇【『ジョーカー』との関連性も】

『キング・オブ・コメディ』をAmazonプライム ビデオでチェックする
ボタンをクリックするとAmazonのページに移動します。

他にも、『狼よさらば』『フレンチコネクション』『ネットワーク』『カッコーの巣の下で』など…数々の映画の要素が盛り込まれています。

これらの作品に共通している大きな点が2つあります。

  1. 時代設定が1970年代後半から1980年代初頭にかけて治安が悪かったころの大都会(ニューヨークなど)
  2. 社会的弱者・社会不適合者が主人公
  3. そして、その主人公が社会に牙を剥く物語

『ジョーカー』は、”アメコミ映画”という現代最強のコンテンツを使って、社会不適合者の怒りを描いた作品だと言えますね。


上記のように、元ネタになった作品は多数ありますが『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディ』は、ロバート・デ・ニーロのキャスティングまで含めて『ジョーカー』という作品の骨格になっています。

この2作品を観るだけで『ジョーカー』がさらに楽しめます。

あとがき

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

「喜劇は主観」

「僕の人生は悲劇じゃない、喜劇だ」

僕はこの二つの言葉に希望を感じました。

生きてて辛いことがあるのは当然で、死にたくなるときがあるのも当然です。

クソったれた世界です。一向に良くなる気配はありません。

重くのしかかる増税、毎年のように起こる自然災害、地球温暖化、見えない未来…

挙げるとキリがありません。1981年のゴッサム・シティと、なんと似た世界でしょうか。

そんなただでさえクソったれた世界で、自分が憎いほど嫌いになるときもあるし、コンプレックスで発狂しそうになることもあります。

地獄です。

でも、そういう人生や自分や世の中全部ひっくるめて肯定してくれる言葉が、

「喜劇は主観」

「僕の人生は悲劇じゃない、喜劇だ」

この二つです。

アーサー・フレックという男の人生は、誰の目に見てもどう見ても悲劇です。一瞬の救いもなく悲劇です。

でも彼はそれを“喜劇”だという。

大切なのは“自分で決めること”だという。

喜劇も悲劇もどっちも同じことで、それでも大丈夫 それでいい

このクソったれな世界を生き抜くためのわずかな光を、なけなしの希望を受け取りました。