めんどくさい思考回路のぼく(日本人という民族)

長かった正月休みもあと9時間で終わってしまうという事実に震えています、タクヲです。


 

終わりを気にしすぎる自分の思考回路

思えば昔からいつもいつも終わりを気にして生きてきました。

例えば遠足の前日、それはもうワクワクして目がギンギンに冴えて中々眠ることができないほど明日を楽しみにしていました。でも、朝を迎えていざ遠足の当日になってしまうと、なんか一気にどうでもよくなってしまうのです、急に。もういいや。みたいな、ふて腐れてブーたれてしまう。

考えてみると、遠足の前日はまだ遠足が始まってないからワクワクするんです。

でもいざその日を迎えてしまうと、時計の針は楽しい1日の終わりへと脇目も振らずにズンズン進んでいるということを常に意識してしまう、嫌なのに。
刻一刻と終わりに近づいている。それを意識してしまったが最後、もう途端に悲しくなってどうでもよくなってしまう。投げありな気持ちになってしまう。
よく分からないけど昔からそういうところがあります。

例えば、待ちに待った彼女とのデートでも、彼女が10分遅れてくるだけでつい怒ってしまうということが多々ありました(今は彼女いません)。それは彼女と過ごせる時間か10分短くなってしまったことへの怒りであって、彼女が10分遅れてきたことへの怒りではないのに、それを彼女にぶつけてしまう。アホだ。

小さい男だなー。

終わりを意識する日本人的思考回路

時間の終わりを気にせずに過ごすことはできないものか?

色々試してみましたがどうやら無理そう。
こんなどうしようもない問題にグタグタ悩んでいるときに読んだ、『少年ジャンク(志磨遼平著)』という本の一節がとても腑に落ちたのです。

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盛り上がってる=(イコール)終わりがそこまできているととらえる感性こそ日本人の美徳で、だからどうしてもバカになれない。だって終わるんだもん、となーんか醒めちゃうのである。

満開の桜なんかどうせ来週には雨で散るだろうし、花火にいたってはもう、まばたき一回であとかたもなく消えてしまう。
日本人とは「よろこび」のピーク/頂点の最中にあるその後に待つしかない末路を創造し、そこから逆算して今の儚さを味わう、というなんともしちめんどくさい思考回路の民族なのだ。

少年ジャンク抜粋

あぁー、なるほど。
うわーめっちゃ納得やわ。なるほど。と思いました。

あなたは、どうですか?

この志磨遼平が提唱する日本人的思考回路のメカニズムは、終わりを気にしすぎてしまうというぼくの悩みとは少し違うかもしれませんが、ようするにぼくは、終わりばかりに気を取られて一番大事なこと(よろこび)を見ていなかったんです。よろこびの後の終わりばかりに気を取られていた。なんという勿体無い。蟹でいえば蟹味噌を手付かずのまま捨ててしまうようなものです(違うか)

でも『少年ジャンク』という本を読んで、

「なんだ、すごく日本人的だったんだな自分は。」と、救われた気持ちになったのでした。

終わりを気にする民族、日本人。

ぼくみたいに終わりを気にしすぎてしまう方ってけっこう多いと思います。(実際ぼくの友人にもチラホラ)

でも、大丈夫です。

今この瞬間から逆算して何かの終わりを意識する、それってとても日本人的な考えなんです。

終わりから少し目をそらして、終わりより前にある楽しみに目を向けてみましょう。
チラ見でもいいんで!

ドレスコーズ 志磨遼平の魅力について13000字以上で徹底的に語り尽くす。【随時更新】
✳︎2017/3/5 追記 志磨遼平の魅力を徹底的に語り尽くす、果たしてそんなことが可能なのだろうか。 だって、彼に...

あとがき

なんだか、最近妙に自分語りというかエッセイ的なニュアンスの記事が多いのは、星野源の書籍のせいです。影響されまくってます。自分でもこういう文章書きたいなー、なんで思ってしまうんです。すぐに影響されるんです。(それを悪いことだとは思っていない)

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「うん、綺麗に剥がせるんはわかってんで。やけど、なんでここに貼ったん?」
と、一人笑ってしまった。

星野源と志磨遼平、2人の共通点と魅力。
最近、ぼくの中での星野源旋風がヤバイです。ここ2週間ほど心のど真ん中を星野源に占領されてしまっている…。まさかここまでハマるとは。 ...

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