ぼくらのあのころは

紅白歌合戦出場者が発表されると、いよいよ年末だなぁという気にさせられます。2017年も残すところあと、43日。

でもなんだろう、例年にも増して紅白にワクワクしないこの感じは。

いや、エレファントカシマシ初出場!しかも宮本浩次のキャリアを考えるとね、ものすごくドラマがあると思う。あとトータス松本ね。ウルフルズの大ファンとしては、「なんで、トータス松本?」とかネットで散々言われようが、というよりファンとしても「なんでソロやねん、25周年なんやからみんなで出ろや、てか椎名林檎とのコラボかい!そりゃそうや!」と、思うことは色々あるけど、やっぱり嬉しい。

でも、ワクワクしない。

2017年のヒットソング無い説

あれですよね。先日、友人と話してて盛り上がったんですけど、今年ってヒットソングがただの1つも無いですよね。全世代で共有した大衆のヒットソングがない。ムーブメントがない。

想像してみてください、2017年を。

ね、ないでしょ?

去年は色々あった。

星野源 恋

RADWIMPS 前前前世

ピコ太郎 ペンパイナッポーアッポーペン

音楽シーンに限っていうなら、サチモスを台頭としたシティポップの王政復古とか、明確な流行、ブームがたしかにあった。

2016年にはその年の色があった。でも、今年ってマジでないですよね、無色透明。いやむしろ、小さな色があり過ぎて、パレットに絵の具全色ぶちまけた感じですかね。

スマホ時代

パソコンが一家に一台の時代から、スマートフォンは一人に一台の時代になり、ありとあらゆる時代の流行、文化を片手に持ってる文明の利器ことスマホでいつでもどこでも閲覧することができるようになりましたよね。現代と過去を同レベルで語ることが出来るようになった。なんて便利なんだ。
この記事も今まさにスマホから更新してますし、本当にスマホ様々です。もうスマホ無しでは生きていけない。

失われた時制と同時代性

スマホによって全時代の流行、文化、情報をいつでもどこでも誰でも知ることができることができるようになったからこそ無くなってしまった、時制や同時代性。
つまり、同時代で共有する記憶とか、共有の消費が生まれないんですよね。

「〇〇みたいになりたい」みたいな、憧れの対象なんてもうみんなバラバラ。みんながみんな「アムロちゃんになりたい!」みたいな、そんな時代もうあり得ない。

個々の趣味嗜好の細分化が進んで、共通、共有する大衆としての記憶や消費が無くなった。

進む、個人趣味嗜好の細分化

個人の趣味嗜好が細分化すると、あちこちに個々のコミュニティができますよね、当然。世間を動かすほどの大きな流行にはならなくても、小さな輪の中で対象を楽しむんですよね。

個々のコミュニティを形成してその中でワイワイするのってめちゃくちゃ楽しいですけど、それってまさに内輪で、そういったものを大衆というには無理がありますよね。
無限に増殖し続ける個々のコミュニティの輪。そして、それ故に無くなってしまった大衆の流行の輪。

ぼくらのあのころは

「ぼくらの時代は〜」とか「あのころは〜」って話って楽しいじゃないですか、やっぱり。過去を共有した同級生との昔話。
「そうそう!中学のときオレンジレンジめっちゃ流行ってたよな!」みたいな。2000年台前半のヒットソングとか聴くと懐かしくなるし。

でもそういうのも今後たぶん無くなってしまう。というか、現在進行形でもう無くなっている。
「中学のときは〇〇めっちゃ聞いてたわ〜!」「え、なにそれ知らね…」みたいな。

「この世代といえば」みたいなものがほとんどない。

同時代で文化の共有をするということが無くなってしまったんですね。

少し、寂しい。それだけ。

なんだか悪いことみたいに書いてしまいましたけど、メディアに先導されることなく、踊らされることなく、個人で好きなものやそうじゃないものを取捨選択できるようになったいま、この時代は、きっとものすごく恵まれていて良い時代です。

でも、なんか少し寂しいよね。

って、本当これが言いたかっただけの記事です。

で、安室ちゃんは紅白には出演されないの?頑張れ日本放送協会。

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